1971年に歌手デビューし、その年のオリコン年間売上で1位、レコード大賞年でも最優秀新人賞を獲得した小柳ルミ子さん。
現在では、芸能活動だけではなく、プロも顔負けの試合分析をする、根っからのサッカーファンとしても知られていますよね。
今回は小柳ルミ子さんとかつて結婚していた大澄賢也さんとの離婚の真実について記していきます。
元旦那の大澄賢也さんは、離婚するためにわざと浮気をしたなんて噂もあるようですよ・・・
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小柳ルミ子と元旦那・大澄賢也は1989年に結婚
小柳ルミ子さんは1952年、福岡県出身。
大澄賢也さんは1965年、静岡県出身。
ふたりは1989年、交際してから10日という超ハイスピードで結婚します。
当時の大澄賢也さんは駆け出しのダンサー。
一方の小柳ルミ子さんは、知らない人はいないくらいの大人気歌手。
しかも、名だたる歌手や映画監督、プロゴルファーらとの交際が噂される「恋多き女」として知られていました。
「小柳ルミ子さんのバックで踊るというのは、男性ダンサーにとってある種のステータス」と話していたくらい、あこがれの存在だった女性と結婚した大澄賢也さん。
小柳ルミ子さんも、大澄賢也さんのことを「王子様」とか「天使」と呼び、「一緒にいれることがうれしすぎて毎日泣いています」と喜びを表していました。
お互いにリスペクトし合っているふたりの結婚は、13歳という年の差でも非常にアツアツなところが話題になりました。
馴れ初めはディナーショー
小柳ルミ子さんと大澄賢也さんの年の差、格差婚のきっかけはどのようなものだったのでしょうか?
ふたりの馴れ初めは、1988年の11月、ディナーショーでの共演だといわれています。
リハーサルで初めて会って、地方を回っているうちに親密な関係になり、1か月ほどたったクリスマスイブにはもうつき合い始めたのだそうです。
そして、その年の大みそか、紅白歌合戦にも小柳ルミ子さんのバックダンサーとして出演していたという大澄賢也さん。
その時の強い高揚感から、小柳ルミ子さんにプロポーズをして、年が明けて1989年の1月に結婚するのです。
出会って1ヶ月でプロポーズってすごいですよね。
大澄賢也さんの23歳という若さゆえにできた感じがします。
ただ、一説によると、ふたりきりで食事にいけるようにしたりと、自分といい仲になるように、小柳ルミ子さんがいろいろと画策していたといわれています。
逆に言うと、大澄賢也さんの勢いをうまく誘導した小柳ルミ子さんの作戦勝ちだったのかもしれませんね。
結婚式が盛大すぎ!
13歳差の格差婚だった小柳ルミ子さんと大澄賢也さん。
1989年の1月に入籍をしましたが、結婚式、披露宴はその3か月後の4月におこなわれました。
東京のホテルで行われた披露宴は総費用3億円ともいわれる超豪華なもので、多くの芸能関係者やタレント、歌手などを招待して盛大におこなわれたそうです。
テレビでも放映されていたと思いますが、確か、披露宴のラストに小柳ルミ子さんと大澄賢也さんがダンスを踊り、盛り上がりに盛り上がったところで、熱烈なチューをお茶の間に見せつけていましたね。
そんな濃厚なキスシーンは披露宴の最中で合計7回。
もっとしていると思ったのですが、意外と少なかったですね。
でも、壮絶なインパクトでしたので、30年以上たっても頭から離れません。
元旦那・大澄賢也の仕事
ダンサーとして認知されていた小柳ルミ子さんの元旦那である大澄賢也さんは、結婚を機に俳優として数々のドラマやミュージカルにも出演するようになりました。
また、1990年代後半から2000年代にかけて、持ち前の運動神経を活かして、ケイン・コスギさんらとスポーツマン№1を競い合っていました。
意外に知られていませんが、NHKの教育テレビでは10年もの間、声優としてレギュラー出演しています。
単なるバックダンサーから、演技の方面にも活躍の場を広げたことができたのは、本人の努力もさることながら、やっぱり、奥さんだった小柳ルミ子さんが世間に露出してくれたことが大きかったのではないでしょうか?
年齢的にも、演技や歌にも円熟味が増して、ますますの活躍が期待されます。
世間からはすぐ別れると言われていたが、11年も続いた結婚生活
13歳差で格差婚、しかも、知り合って2ヶ月という超スピード婚だった小柳ルミ子さんと大澄賢也さん。
世間ではすぐ別れると言われていましたが、結婚生活は11年も続きました。
踊りながら料理を作るバラエティ番組をはじめとして、いくつもの番組に夫婦そろって出演し、芸能界でも有数のおしどり夫婦といわれていましたね。
ですが、これも大手事務所との折り合いがつかず、「瀬戸際の花嫁」などと、独立してもなかなかうまく仕事にありつけなかった小柳ルミ子さんが自分たちを売るために確立したキャラクターだったという見方もあります。
とはいえ、夫婦そろっての芸能活動により、小柳ルミ子さんも大澄賢也さんも認知度が大きく高まったことは間違いなく、そういった意味では結婚生活は成功といえるかもしれません。
2人は2000年に離婚!離婚理由は浮気
おしどり夫婦として世の中にも認知され、順風満帆に見えた小柳ルミ子と大澄健也さん夫婦さんでしたが、1997年には大澄賢也さんの夜遊び報道が出てきたあたりから、夫婦関係に亀裂が生じ始めました。
そして、結婚生活12年目となる2000年にミレニアム婚ならぬミレニアム離婚をするのです。
結婚やその後の芸能活動に様々な策略を巡らせてきた小柳ルミ子さんでしたから、どうしても別れたくなかったのか、離婚に際して条件を出してきたといわれています。
小柳ルミ子が挙げた離婚の条件
小柳ルミ子さんが大澄賢也さんに提示してきた離婚の条件は、「慰謝料1億円」もしくは「これまでのキャリアを捨てて、結婚前と同じ駆け出しのダンサーに戻る」というもので、大澄賢也さんが選択したのは、「慰謝料1億円」でした。
結婚して10年。
妻の影響はかなりありながらも、着実にダンサー以外の活動をおこない、それなりに認知されてきた大澄賢也さん。
これまでのキャリアを捨てるはずはなく、慰謝料1億円を支払う選択を迷わずしたのだろうと思われます。
ただ、この離婚の条件、実は大澄賢也さんから言い出したとか、様々な憶測が飛んでいます。
ある番組で小柳ルミ子さんが離婚について質問されたときに、「本当のことは墓場まで持っていく」と話していたそうです。
「真実は本人たちのみぞ知る」といったところでしょうか。
大澄賢也はわざと浮気した?
(自作自演かもしれませんが・・・)慰謝料1億円という法外と思われる金額を提示されても、小柳ルミ子さんとの離婚を決断した大澄賢也さん。
噂では、女性との夜遊びや浮気も離婚をしたくてわざとやっていたといわれています。
そこまで離婚したがった理由のひとつに「子供」があるそうです。
かねてから小柳ルミ子さんとの子供を欲しがっていた大澄賢也さんでしたが、「あなたの稼ぎだけではやっていけないから」と断られたというのです。
その時の大澄賢也さんの月収が300~400万円だといわれています。
え?月収で300万円でしょ?
なんでこれで稼ぎが少ないの?と思いますよね。
ビックリです。
女性は産休や育休で仕事ができなくなりますので、共稼ぎならば、ある程度の収入減は仕方ないところです。
でも、月収300万円で「稼ぎが少ない 」と思う芸能人の金銭感覚には戦慄すら覚えます。
また、ひょっとしたら、13歳も年が離れていた影響で、なかなか一人前に見られなかったのかもしれません。
いつまでも妻である小柳ルミ子さんの保護下に置かれている感じがしていて、「夫として」とか、「男として」の尊厳みたいなものが損なわれていると思っていたのではないでしょうか?
結婚前のアプローチの感じからすると、小柳ルミ子さんはかなり大澄賢也さんのことが気に入っていたでしょうから、いつまでも自分のそばにいてほしいと、まるで母親か姉のように、あれこれ過保護にしていた感じがします。
でも、やっぱり男性としては、女性に守られるのではなく、守りたい。
大澄賢也さんに芽生えていった「彼女を守りたい」感情と、小柳ルミ子さんが抱いていた「彼を守ってあげたい」思いとの違いも、離婚の要因だったかもしれません。
大澄賢也は2013年に再婚
念願かなって?2000年に小柳ルミ子さんとの離婚が成立した大澄賢也さん。
その後、2003年にはミュージカルの主演を射止めたり、脇役ながら、数多くのテレビドラマに出演するなど、精力的に芸能活動をしてきました。
そのような中、2010年にミュージカルで共演した、振付師で女優の岡千絵さんと3年の交際を経て2013年に再婚したのです。
晴れてゴールインを迎えた時には「パートナーとして巡り合えた縁に感謝しふたりで力を合わせ歩んでいきたい」とコメントし、結婚後に大澄賢也さんが公の場に出た時には、「幸せですか?」という問いに「はい!」と笑顔で答えるなど、幸せな雰囲気を醸し出してたそうです。
これまで月収300万円でも稼ぎが足りないといわれていた生活から一変して、散財しないように一日当たりの小遣い制になり、しっかりと岡千絵さんに財布のひもを握られているようです。
一方、小柳ルミ子さんは、2007年に結婚間近となった相手がいたものの、破局してしまいます。
2020年6月現在、特定の相手との交際、結婚はありませんが、世界的に有名なサッカー選手に魅了され、年間2000試合を超えるサッカー観戦をするくらいサッカーに恋しているようです。
小柳ルミ子さんも、大澄賢也さんもふたりでの幸せは叶わなかったかもしれませんが、それぞれに違う幸せのかたちを見つけることができたといえるでしょう。