山下弘子の元旦那・前田朋己の馴れ初めはマッチングアプリ!再婚の可能性は無し?

アフラックのCMにも出演していた山下弘子は19歳のときに肝臓がんを患い、余命半年と宣告されていました。

その後手術により摘出されたものの、再発と転移を繰り返し、2018年3月25日に25歳という若さで天国に旅立たれました。

お亡くなりになる9カ月前である2017年6月には結婚を果たし、素敵な旦那と幸せな結婚生活を送っていたようです。

そこで本記事では、

  • 山下弘子の旦那について
  • 馴れ初めや結婚式
  • 山下弘子の旦那の再婚について

を中心に解説します。

 

山下弘子と旦那は2017年に結婚

山下弘子と旦那は2017年6月に結婚。

山下弘子は1992年10月29日生まれで、旦那は1980年4月30日生まれなので、年齢差は12歳になります。

出会った当時は、山下弘子が20歳で旦那が33歳だったようです。




旦那はどんな人?

旦那のプロフィールは下記の通りです。

  • 名前:前田朋己(まえだともき)
  • 出身地:兵庫県
  • 生年月日:1980年4月30日
  • 身長:180㎝
  • 血液型:B型
  • 学歴:立命館大学

旦那・前田朋己は兵庫県議員。

2010年に初当選し、2019年4月8日の公式ブログでは「まさかのトップ当選でした!」と報告しています。

きっと県民に信頼されている議員なのでしょうね!

また、結婚式から9か月後、山下弘子がお亡くなりになった際には「彼女は最愛の妻であり、最愛の友であり、偉大な恩師でもありました。彼女の歩みが笑顔で満たされ、光で包まれる事を心から祈っています。」とコメント。

山下弘子を心から愛しており、良きパートナーであったことがわかりますね。

 

馴れ初めはマッチングアプリ

前田朋己は、立命館大学出身だったとのことですが、実は山下弘子も同じく立命館大学出身。

しかし、大学で出会ったわけではなく、卒業後、マッチングアプリで出会ったようなんです。

最近は、マッチングアプリやSNSなどで出会って結婚に至るカップルも多いですよね。

ただ、世間的には悪いイメージを持っている方もいます。

それでも、前田朋己はマッチングアプリで出会ったことを隠すことはしなかったのです。

出会いのきっかけがマッチングアプリだっただけであって、それが仕事やバイトが一緒だったから、同級生だったから、友人の紹介だったからという理由と全く同じことですからね!

そんな二人は、2013年6月6日に出会いました。

前述したように、当時前田朋己は33歳、山下弘子は20歳でした。

マッチングアプリでやり取りする間に、旅行好きという二人の趣味が一致し、初めて食事デートすることになったようです。

山下弘子は前田朋己のことを「ちゃらい」と感じていたようですが、一方で前田朋己は一目惚れ。

「僕はひろと呼んでいたのですが、ひろと初めて会ったとき、僕はすぐに『結婚するなら、この子や!』と確信しました。」と明かしていました。

しかし、出会ったころ山下弘子は、最初に見つかった肝臓がんの手術に成功したものの、再発し、大学に二度目の休学届を出し、抗がん剤治療を始めていたのです。

素敵な出会いに興奮する前田朋己にこのことを告白。

しかし、前田朋己は「へぇ~そうなんや」という感じで普通の態度を貫き通したそうです。

その理由は、がんを患ったことで、人が離れたり過度に気を遣われたりという経験をしてきたであろう山下弘子に気を遣わないようにしたかったからのようです。

そのうえ、職業柄、がんを患った方の生存率などのデータも知っており、母親が中3の頃に子宮がんを患ったものの現在も元気ということなので、がんと共生できるような社会に出来ると思っていたため、「がん₌死」とは考えないようにしていたのでした。




山下弘子が結婚を同意したきっかけ

順調に交際を続けていた二人ですが、結婚を望んだ前田朋己に対して、山下弘子は自身ががんを患っていることに引け目を感じ、なかなか結婚に同意してくれなかったようです。

しかし、2016年秋ごろに結婚に同意。

当時、参加していた新しい治療薬であるレンビマの治験によって症状が好転したことが理由でした。

前田朋己曰く「ひろ(山下弘子)は僕を残して先に逝く可能性が高いことを、とても気にしていました。でも、僕にとってひろは恋人であるだけでなく親友でもあるような、一緒にいていちばん楽しい相手だった。人生や仕事に対する向き合い方も、ひろから学ぶことばかりでした。だから、病気のことなんて関係なく、ずっと一緒にいたかった。ひろが結婚にうなずいてくれたときは、天にも昇る気持ちでした」と明かしています。

そんな幸せな時に、骨と心膜へのがん転移が発覚。

対処療法の放射線治療しかないことを知った山下弘子は、結婚の話をなかったことにしようと言い出したのです。

それでも前田朋己は「がんなんて単なる細胞で、僕らの仲を邪魔できるようなものじゃない!」と説得したようでした。

 

結婚式が盛大で豪華!最初はするつもりではなかった!

山下弘子さんはそもそも結婚式はしないつもりで初めはいたようです。

みんなから絶対した方がいいと言われて、結婚式の意味を調べてみると、結婚式は単なる見せびらかしの場だと思っていたが、感謝の気持ちを伝える場だと判明。

  • 命の恩人をできるだけ全員集めて、元気な姿を見せて、感謝の気持ちを伝えたい。

それが結婚式をしようと決意した理由とのことでした。

そして、多くの人に祝福されながら、2017年6月に結婚式を挙げました。

画像を見てわかるように、二人の結婚式は盛大でかなり豪華だったようです。

 

2人の結婚観が素晴らしい

二人は「夫婦でがんと共生しよう」と常日頃考えていたようです。

素晴らしい結婚観ですよね。

前田朋己はひろに『がんはサナダ虫みたく思え』とよく言っていました。

ひろのがんは現代の医療技術では完治できないことがわかっていたので、体の中で飼いならすように共生していこうとしていたんです。

そう思えば、病気であることを気にしすぎないですむ。

心を健やかに前向きにすることで、きっと体にもいい影響がある。

なので、普段の生活のなかでは、ひろのことはなるべく病人扱いしなかった。その代わり、常に楽しいことを考えるようにしていたといいます

また、山下弘子と出会って5年間、ともに闘病生活を送ってきた前田朋己ですが、まったく後悔はないと言います。

そういう風に思えるのは、お互いに我慢せず楽しいことをして過ごそうとしていたからなんだとか。

前述したように、旅行好きである二人は、良く海外旅行にも行っていたようです。

ただ、ネットでは「病気なんだから、海外に行ったりなんかしないで、家でじっとしてればいいのに。海外で万が一のことがあったらリスク高いよ」などという書き込みもあったとのこと。

それでも、二人は考えを貫き通しました。

その理由は、病気を理由に行動制限をしてしまうと、病気が進行し動けなくなった時に「ああすればよかった、こうすればよかった」という後悔が残っていたかもしれないと考えていたからです。

結果、後悔は残らなかったのですが、後悔が残らなかった理由はもう一つあります。

それは、山下弘子自身が常に明るく、誰にでも優しかったから。

周囲の人はみんな「彼女といると、とても楽しくなる。そんな女性でした」と語っているそうです。

また、前田朋己も「ひろは、つらいことも、心の片隅にどかせてしまえる女性でした。いつも『今』を生きていた。そんなひろの姿に、僕も周囲も救われていたのだと思います」と感謝の気持ちも抱いているようでした。




旦那が山下弘子の死をブログで報告

そして、山下弘子は2018年3月25日にお亡くなりになりました。

前田朋己は山下弘子の死をブログにて報告。

  • 夫です。
    今朝6時過ぎに、ひろは旅立ちました。
    2月末に救急車で運ばれそのまま入院し、それから3日連続の緊急手術。
    それからの約3週間はひろは眠ったままのため、意思疎通はできませんでした。

お亡くなりになるまでの状況を綴っていました。

3週間も意識がなかったという山下弘子。

21日に投稿されたブログでは、人工呼吸器をつけてなんとか生きている状態だったことを明かしています。

山下弘子は、19歳のときに肝臓がんが発覚。

肺への転移もあったことから、余命半年と宣告されていました。

しかし、その後も病気と懸命に闘い、アフラックのCMなどで嵐の櫻井翔とも共演していました。

CMでは「私はがんになっていい子をやめました。いっぱい笑っていっぱい泣いていっぱい楽しもうと思います。」と語っていたようです。

山下弘子の言葉通りにきっと、前田朋己とともに楽しい人生を送れたことでしょう。

 

山下弘子の旦那があざといと言われる理由

旦那があざといと言われる理由に山下弘子さんの死を利用していると世間では言われています。

また、山下弘子さんの死と同時に本も発売。

これはタイミングが良すぎですね!

狙ってるとしか言いようがありません。

最後の「愛してる」 山下弘子、5年間の愛の軌跡
評価
(4.0)

彼女の物語を残したい。その強い思いが本を出版した理由です。

この本を読んだレビューになります↓

 

賛否両論ある本ですね。

がんと共生する生き方や病気と向き合う心構えが伝わる本です。

 

山下弘子の旦那の再婚の可能性

山下弘子がお亡くなりになって約2年が過ぎた今。

現在も前田朋己は再婚しておらず、再婚の可能性もないようです。

 

以前、山下弘子のお骨の一部を、二人で旅行したいと語っていた国や二人で訪れた場所に少しずつ散骨していくことが大きな目標の一つであると明かしていました。

そして実際に「二人で旅行したカンクンでも散骨しました。次はひろが行きたがっていたニューカレドニアに連れて行きたいと思っています」と散骨した様子を報告。

これからも二人はともに生きていくのでしょう。

 

いかがでしたでしょうか。

きっと想像以上に過酷な闘病生活だったでしょうが、どの画像を見ても山下弘子は笑顔でしたよね!

山下弘子のご冥福をお祈りするとともに、今後の前田朋己の活躍も期待しています。




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