デヴィ夫人の元旦那・スカルノ大統領のプロポーズの言葉が男前すぎてヤバイ!

デヴィ夫人は1962年にスカルノ大統領と結婚したことで有名ですが、そんなデヴィ夫人の旦那・スカルノ大統領からのプロポーズの言葉が素敵だと話題になっています。

そこで本記事では、

  • デヴィ夫人の旦那・スカルノ大統領について
  • 馴れ初めやプロポーズの言葉

を中心に解説します。

 

デヴィ夫人と旦那・スカルノは1962年に結婚

デヴィ夫人は、1962年にインドネシアの初代大統領スカルノ大統領と結婚し、日本人で唯一、海外の国家元首の妻となります。

当時スカルノ大統領は58歳、デヴィ夫人は19歳で、39歳差の超年の差婚でした。

華やかな人生を送ってきたかのように思えるデヴィ夫人ですが、若い頃は大変苦労をされていました。

デヴィ夫人の結婚によって、マスコミの執拗な取材により体調を崩していた母が亡くなり、更にその2日後、母の死に目に逢えなかった弟が、自宅アパートでガス自殺します。

デヴィ夫人はこれについて、「本当に私が一生、十字架を背負うくらい苦しんだ事ですね。」と語っています。




スカルノ大統領について

デヴィ夫人の結婚相手であるスカルノ大統領についてご紹介します。

スカルノ大統領は、オランダが長年植民地として支配していたジャワ島東部の都市スラバヤ生まれます。

スカルノ大統領の幼少期の画像になります。

オランダによる過酷な植民地政策に対する反発を感じていたスカルノ氏は、大学卒業とともに、本格的にオランダに対する反植民地運動を開始し、1927年7月4日には、宗主国のオランダ留学から帰国した同志らとともにインドネシア国民党を結成します。

その後スカルノさんは、インドネシアの独立と民族の統一を訴えるために、各地で積極的に集会を開催し、壇上での熱のこもった演説で聴衆を魅了し、「民族の指導者」として認められていきます。

また、日本を訪問して昭和天皇と面会するなど、日本との関係を強めていきます。

スカルノ大統領には何人か愛人がおり、第1夫人:ファトマワティ、第2夫人:ハルティニ、第3夫人:デヴィ夫人など他にも多数いたみたいです。

第1夫人であるファトマワティ夫人の写真はこちらです。

スカルノ大統領にはいったい何人愛人がいたのでしょうかね。

 

デヴィ夫人と旦那・スカルノの馴れ初め

インドネシアの大統領と結婚をしたデヴィ夫人ですが、いったいどのようにしてスカルノ大統領と知り合ったのでしょうか?

お2人の馴れ初めについてご紹介します。

デヴィ夫人は16歳の頃、父親を亡くし大変苦労をされてきました。

若い頃は、弟を大学に行かせるために、赤坂の一流の高級クラブ「コパカバーナ」でホステスとして働いていました。

デヴィ夫人はその美貌と頭の良さで評判を呼んでおり、当時インドネシアと巨額のビジネス関係にあった貿易会社のメンバーがデヴィを見初め、スカルノ元大統領に引き合わせます。

当時の写真を見ても分かるように、若い頃のデヴィ夫人は本当に美人で、注目されるのは納得できます。

スカルノ大統領は、日本の歴史に詳しかったことや、お互いの貧しかった幼少時代を語り合ううちに、お二人はより親密になっていきます。

最初は愛人の一人にすぎなかったようですが、デヴィ夫人の真面目で勤勉な態度が認められ、スカルノ大統領の第三夫人となるのです。




旦那・スカルノのプロポーズの言葉

デヴィ夫人はスカルノ大統領から受けたプロポーズがとても素敵なのでご紹介します。

首都のジャカルタから専用のジェット機でバリ島の離宮に移動し、真っ赤な太陽が沈むのを眺めていた時、スカルノ大統領から、「私のインスピレーションとなり、力の源泉となって、私の人生の喜びとなってください。」と、プロポーズされたのでした。

専用ジェット機から真っ赤な夕日が沈む中でこんなプロポーズを受けたら、どんな女性もいちころでしょうね。

デヴィ夫人は、このような美しい言葉は、これからの人生でもう聞くことはできないのではないか、と思うほど心を打たれたそうで、そして、この方に選ばれたのだから、決意を固め、当初2週間の滞在予定が、ずっとインドネシアにとどまることとなったのでした。

デヴィ夫人にとっては一大決心だったでしょうね。

 

結婚生活はわずか8年

インドネシアの宮殿で暮らしていた時は30人もお手伝いさんがいるなど、華やかな生活を送ってきました。

しかし、状況が二転三転した軍事クーデターで、スカルノ大統領が徐々に失脚します。

デヴィ夫人は25歳の時に長女かりなさんをもうけます。

ちなみにスカルノ大統領は他にも奥さんがいたので、スカルノ大統領にとっては8人目の子でした。

デヴィ夫人は、大変な運命にみまわれながらも無事に逃れ、日本で娘さんを出産後、フランスに亡命されました。

そんな折、1970年6月21日早朝にスカルノ元大統領は亡くなってしまいます。

死因については「腎虚」の病気だったと言われていますが、暗殺されたという情報もあり、はっきりした情報がありません。

インドネシアの大統領と結婚し、華やかな生活を送ってきたと思われたデヴィ夫人ですが、結婚生活はたったの8年間でした。

デヴィ夫人は当時のことについて「大統領夫人ではなくなったと感じたのは、飛行機を降りたときに、あの赤いじゅうたんがなかったこと。“ああ、私は普通の人になったんだ”と痛感させられました。今はもう慣れましたけどね」と語っています。

デヴィ夫人は日本の芸能界で、その華やかさと直截な発言で注目を集め、今でもさまざまなテレビ番組に出演しています。

現在80歳になられたデヴィ夫人ですが、これからも病気などせず、元気な姿を見せてほしいですね。

今後も活躍を期待しています。




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